さっちゃんの会


医師の矢島祥子さんが亡くなってから一年
西成区の川のほとりで遺体が見つかったという事件は
今も他殺か自殺か不明である
私が彼女に初めて会ったのは、8年ほど前だったか
女性の野宿者の支援をする会で、
ご一緒したのが始まりだった
当時は淀川キリスト教病院の医師で、
貧しい人になみなみならぬ思いを持つ点で共感しあえる、
めずらしい医師だった
彼女が自殺をするはずがない、
そう信じる人たちがなんとか事件の究明を求めている
先ほど報道ステーションでも、情報を求めていた
もしも他殺であるならば、自殺以上に残念なことである
この世にはさまざまな考えの人が生きている
ある強い考えにとらわれて、人を恨む、人を陥れる、
といったことだって十分起こりうる
それほど人の考え方は千差万別と、この頃、思うようになった
慈善や奉仕の気持ちを疑う人もいるのだ、と
私は矢島さんの足元にも及ばないかもしれないが、
西成の貧しい母子家庭に生まれて全国を転々とした経験から、
女子刑務所で働き、以来30年、
仕事時間と休日の多くを、
支援が必要な人のために充ててきた
人を切り捨てない、周辺化させないために
脆弱な自我しか持ちえぬ自分でも、
やれることはないかをつねに考え、
実際に行動してきたつもりだ
電話一本で、知らない人に会いにいくこともある
「よく一度も危ない目に遭いませんね」
スタッフにあきれられたこともある
だが、そうした生き方を揶揄している人がいるらしい
私の行動を「カネ目的」と喧伝している人がいるそうだ
正直、それを人から聞かされたときは忸怩たる思いであった
金は多くを解決する
なぜ金持ちを私が支援する必要があるのか
年齢的に、体力にも陰りを見せてきた私にそんな余裕はない
それは「逆差別」なのかもしれないが、
私がカネに執着していれば、財産のひとつも残せただろう
長者番付に顔を出したこともあるK氏には再三、
「藤木さん、儲けませんか」
と美味しいお話をたくさんご提示いただいた
だが、一度も首をタテに振ったことはない
一度は霊能者といわれる人のところに行ったら、出会い頭に、
「儲からないことばかりやっている!」
と怒られたこともある(わかるのね~)
一方、私にも生活があり、子どももいる
最低限のカネが必要であることはまた事実
そのジレンマにずっと苦しんできた
これが私の欠点なのかもしれない
でも、カネを最優先にした生き方を私はしてこなかったが、
つねに私には仕事をくれる人が現れた
だからここまで支援活動を続けてこれたのだ
私の生き方を批判する、
あるいは私の存在を快く思わない人は、
それは一体なぜなのか、
何のためなのかを考えてみてほしい
そこから自分自身が見えてくるはずだ
矢島さんの死は一体何を物語るのだろう
少なくとも、善行を積む人だから長生き、とはいかないようだ
だが、人生の価値は長さではない
いつも言うことだが、「学びの多さ」にある
ならば、あえて困難を選び、行動しつづけた彼女の人生は、
短くとも、優れて値打ちのあるものにちがいない
彼女の命をいたずらに奪った人がいるとすれば、
その意味を、生涯にわたり問いつづけてほしい
その人を死が見舞うギリギリの瞬間まで、
自分がしたことは何だったのかを
矢島さんの冥福を祈るが
おそらく彼女は誰をも恨んではいない
人を信じることができないという困難を抱える人を含めて、
彼女は人間というものを理解していたはずだから
●情報提供 さっちゃんの会 080-1178-6705