夏は夏休みがありますし、お盆があります。
いやおうなしに、家族が顔を合わせることになります。
家族について、つくづく見直しする機会が多くなります。
昨夜、金スマというテレビ番組を観ました。
いとうあさこが出ておりまして、彼女、「39歳! イライラする!」などと
レオタードでがんばっておりますが、実は大変な旧家のお嬢様で。
実家まで登場し、彼女が親の庇護から飛び出して、いかに苦労したか、
そのストーリーを知ることができました。
こういう話が最近、めずらしくありません。
旧家で名門、という家の子どもに限って、
オネエ系だったり、お笑いタレントをめざしていたり。
親の苦悩はいかばかりか、と思いますが、
テレビに出るころにはかなり受け入れが進んでいまして、
それなりに「理解」を示しています(わかりませんが)。
しかし、いとうあさこの母は、いかにも育ちの良い女性でありました。
社会的スキルをツールに貧困ピープルの支援を展開する私としては、
「生まれ」や「育ち」がもたらす恩恵とその作用に注目しています。
しかし、おもしろいなあ。
旧家のお嬢様はお笑いで上昇をめざし、
社会階層でいえば最下層の出である私は博士号をめざした。
ま、社会全体でいえばそれでバランスがとれるということか。
あるいは劣等意識から来る「ないものねだり」ということか。
今、私がハマっている本に「私の遺言:佐藤愛子」がある。
彼女は祖先の企てで、51歳からたいへん霊障に苦しめられた。
そんなことがあるのかな、と思っていたけれど、この本で、「なるほど」と。
ならば逆バージョンで、うちの先祖は私と弟を一大支援してくれたってワケ?
一昨日ひさびさに大阪に帰ってきた弟は、一部上場企業で支店長に。
私もなんだかんだといいながら、大学院で教べんをとったりしている。
社会階層でいえば最悪の環境に育った2人なのに。
歳のせいか、もしや祖先の後押しがあったのかな、と最近思うようになった。
ただ、私は先祖の「援助」はあっても、先祖の祟りという言葉は信じない。
考えてもみてほしい。
われわれが亡きあと、自分の子どもや孫にタタルなどするだろうか。
可愛さゆえに守ってやろうとは思っても、呪ってやるなんてありえない。
だから、夏はたしかに先祖を思う機会であるが、それはあくまで
ご先祖に「お礼」をいうためであろう。
みなで先祖に「サンキュー」と言い、笑ってうまいものを食い、呑めばよい。
それが「お盆」の目的と思えばお盆もまた楽し。
家族はやっかいなものだが、ひとつの「チーム」くらいに考えたらどうだろう。
たまにはモメ事もあるが、つかず離れず、期待せず(ここが大事)。
適度な距離を保ち、それぞれの存在に感謝してつきあうこと、
要は家族であることに特別な意味を持たないことである。
政治家でもそうだが、家族、家族という人はロクでもない。
それはあまりに排他的考えでしかない。
血にこだわるな、これが私の持論である。
みなさーん、家族と仲良くしてますかぁ、
どんな夏をお過ごしですかぁ?