友人の息子さんが大手企業に就職した。
最初の赴任先はどこかと案じていたら、自宅から通勤できる支店に配属になったという。
ラッキー、と思ったら、同じ大学の友人2人も、自宅通勤できるところに配属されたというから、「たまたま」ではないのでは、という話になった。

私の弟は、大手証券会社に就職し、名古屋支店からスタートした。
大阪の自宅のベランダから、スーツケース転がして駅に向かう弟を、母と2人で見送った。
手を振り振り小さくなっていく弟の姿に、母が号泣したのをおぼえている。
母子家庭で、真夜中に床貼りのバイトをしながらよくぞ大学まで出て、おまけに大手に就職した、その安堵と別れの寂しさで胸が一杯になったのだろう。

あれから20年。以来、弟は全国を転々とした。
2度といっしょに暮らすことはなかったが、まだ同じ会社でがんばっている。
ずいぶん上になったようで(肩書きは興味ないので知らん)、逆に新入社員の面接や処遇に頭を痛めている(たまに会うとボヤいている)。
だが、同期の社員はほとんど残っていない。

「最初は自宅」、が原則となったということは、新入社員がすぐ辞める時代になり、会社もあれこれ配慮するようになったということなのだろう。
仕事も初めてで、ひとり暮らしも初めてではもたない、との判断なのだろう。
みんなが「やさしく」なった。
いや、そうならざるをえなくなったというべきか。

先日、書店で『3年で辞めた若者はどこへ行ったのか(ちくま新書)』というタイトルが目について買ってみたが、あまりおもしろくなかった。
特定の基準をベースに抽出した個別の事例より、今はもう少し社会学的に世間を俯瞰した数字を見てみたい。
流浪の民はどこへ漂着し、今何をしているのか。