2009 謹賀新年


あけましておめでとうございます!
セヘ ポン マニ パドゥセヨ!(新年に福をたくさんお受けください)

昨年まで、実にいろいろありました
なんといっても、博士号を取得し、
大阪市立大学創造都市研究科を卒業できました

一方、在院中は、自らの正義をふりかざして、
教員と2度、大きな対立を起こしました
彼らにとってみれば、自分が指導した学生から反旗を翻されることは、
憤まんやるかたない思いに尽きるでしょう
ましてや、一教員はそのために大学を去ったのですから

しかし、学生は権力的に弱者です
権威と権力によって不条理な扱いをされたと感じたとき、
自らの尊厳の回復を求めて正面から異議申し立てを行うこと、
これこそは共生社会創造ならではのコンフリクトといえるでしょう
その意味で、私は創造都市研究科を試していたのかもしれません
本気で人権共生に取り組む気があるのか、と
そうならば、私という一女性院生の訴えにしっかりコミットしろ、と

教員の皆さん、願わくば、何が一期生にこのような糾弾をさせたのか、
襟を正して教訓としていただきたい、そう思っています
ともあれ、3年半、最後まで私を信じ、応援してくださったあなたにありがとう
あなたにピンチが訪れたなら、必ずやお支えすることを誓います

年末年始は、派遣切り報道一色に染められました
しかし、経営者から小さくささやかれるのは「自己責任」の声です
「彼らは仕事を選んでいる。そうでなければ仕事はある。なんとかなったはず」と

麻生総理が先日ハローワークで職探しをする若者に、
「(仕事が)なんでもいいと言うのは困るな。何かしたいことを・・・」などと
これまた的外れな指摘をしていたが、
大声では言わないだけで、彼らの現実は自らが招いたと考えている人は少なくない

しかし、私は断固としてそうではないといいたい
頑張れというなら、頑張れる条件を整えてくれ
頑張れない人間がいるならば、なぜそうなったのかを考えてみるべきである
現実を創っているのは過去からの積み上げだ
未熟な親に自我を奪われ、頑張れない人間に育てられてしまった人間は、
その後、失敗・挫折の連続で、
もう、どうしたらいいのか、どう生きていけばいいのか、まったくわからないのだ
その親から生まれたことも自己責任というならば、
この世は真に不平等であり、『努力』はすべて『無駄』ということになる

社会を構成しているのは人々のまなざしである
ならば、この現実を形作っているのは、社会的弱者に注がれる冷淡な視線といえる
だからこそ、誰もが一度冷や飯を食ってみればいい
職場を去り、家と家族を捨て、ポケットに数千円、いや数百円忍ばせて、
その夜の泊まり先を求めて街を歩いてみればいい
落ちていく体力とひきかえに増す絶望感と人々の冷遇の中、
自分がどれだけ『頑張れるのか』、試してみるがいい

有り余るセーフティネットに囲まれていても
神の鉄鎚を受けねば弱者の心情を理解できない愚か者があまりにも多すぎて
私は今年も忙しい