子どもたちを加害者にしないために――和歌山県西牟婁郡の民生委員さまへ


1月24日の講演に来てくださり、また、ご質問ありがとうございました。
私なりのお答えを書かせていただきます。

<質問>
「学校のクラブ活動等、スポーツの場で指導者からしつけや子供の気を引き締め
るため等の理由で暴力や体罰が行われています。世間でもそういったことを認め
る風潮があると思います。藤木先生のご講演では『暴力はどういった暴力も許さ
れない』というお話がありましたが、こういった体罰等の暴力をなくしていくた
めには、一市民としてどのようなことができるのか?ということを先生に教えて
いただきたい」

<回答>
このような貴重な質問をしていただける民生委員さんがおられたことに、
まず感謝いたします。
メールでは十分ではありませんが、こうしたことが言えると思います。

教育現場、とりわけ学校では暴力信仰が未だ根強く残っています。
これは学校に限らず、「子どもへの教育には暴力が必要だ」という考えで、
家庭においても、こうした方針で子どもに接している親が少なくありません。

また、スポーツ界においては、相撲部屋でのリンチ殺人事件や、
有名私大の運動部でのレイプ事件など、暴行があとを絶ちませんが、
本当に反省にはなかなかつながらないほど、暴力肯定の文化があると思います。

暴力によって大人の要求に従わせることは確かに「手っとり早く」、
「最も馴染みのある方法」ですが、最大の懸念は、
相手の心に深い傷を負わせるだけでなく、
暴力を受けて育った子どもは暴力を肯定しがちで、
自らも暴力をふるうことで他者を支配しようとする傾向が強くなります。
その結果、暴力をふるわない大人に育つことが難しくなります。

いじめの問題などは、加害児自身の心の叫びであり、
被害児に将来に及ぶ深い後遺症を与えるという点で、
私たちの社会から根絶すべき問題であることは自明です。
実際、社会適応できない大人の過去を調べると、かつて学校で
いじめを受けた経験を持っているケースはめずらしくなく、一方、
加害児は家庭に深刻な問題をかかえているケースも少なくありません。

よって、いじめや虐待、DVなどの暴力の再生産を防ぐためにも、
ひとりでも多くの大人がこうした事実に「気づく」ことが大切です。そして、
「安易に暴力や恫喝に頼ることなく、言葉によるコミュニケーションを通して
優れた教育や指導ができることを立証しよう。これはわれわれの挑戦である」
と主張を始めることが、暴力という解決方法に頼らない子どもを育てるために
最も望まれる決断です。

こうした考えを広めるには、学校、PTA、地域、行政が一丸となって取り組む必要が
ありますし、暴力をふるうなどの問題を起こす子どもの親自身への関わりも重要です。
具体的にどんな方法があるかについては、
キャンペーン、広告、関連資料の作成・配布、映画、講演、イベント、その他、
もっといろいろな方法があるでしょうが、同じ考えの人々が一堂に会して、
一度議論の場を設定され、さまざまなアイデアを募り、実践されてはいかがでしょうか。
そのプロセスこそが、脱暴力、非暴力、「暴力にNO!を言う町づくり」の
有効な基礎作業になると信じています。

非力ながら、お手伝いできることがありましたら、また声をかけてくださればと
思います。今後のご活躍を期待しています。